2020年2月の再訪から時間が経ってしまった。
改めて、山口を訪れた意図だが山口県立図書館で資料の閲覧・調査。資料閲覧で得られた結果は前回の通り。そして終端区間の探索再考と、前回通行をあきらめた日暮支線の探索であるがこちらは未探索に至った。今回のレポートで完結編とし余談多めでエンドとしよう。
さて、今回は1年の変化の記録(と三本杉付近終端部のページを更新)レポートする。
と言っても1年で変化した点と言えば以下の一点くらいだろう。
初回訪問時に残存していた、当時の橋台に架かる木橋が崩落していた。
1年前の様子はコチラ
林鉄廃止後に架けられた人道橋は、すでに役目を終えツタが絡んでいた。降り積もった雪の重みか、白アリの影響かは分からないが自然に還ってしまった。
日暮支線のリベンジを目的に訪れた滑林道だが、作業中だったため探索は断念。上流の支線の現状を見ると、大した発見は無いだろうと推測するがまたの機会に訪れることにしよう。
余談となるが、序章に掲載した「徳地てんこもりマップ」に話を戻す。
「昭和30年代のトラック輸送(大原洞門前)」とキャプションが付くモノクロ写真。序章の通り、災害を機に森林鉄道からトラック輸送へ切り替えに至った。フロント2枚窓のボンネットトラックに大木が載る風景、記念撮影からも樹齢100年を超す杉を伐採したのだろうか。因みに、現代でもボンネットトラックが現役で林業に使われているケースがある。不整地向け6輪駆動のいすゞTWと言う名車が存在し、1986年まで販売されていた。93年まで継続生産され自衛隊などに納入されている。現存台数が最も多いのは岩手県と言われ、今でも林業用として重宝されているようだ。話は逸れたが、写真背後に岩山をくり抜いた隧道が2本続いているのが見える。
1956年に完成した佐波川ダムだが、完成前より存在する国道489号の旧旧道はダム底に沈んでいる。現道はダム下(大原湖)を迂回する形で勾配を緩和しているが、ダム完成前は佐波川の右岸に沿い開通し当時の地理院地図を見る限り隧道表示は見当たらない。モノクロ写真に写る素掘りの2連隧道は佐波川ダム完成後の旧489号となるだろう。
奥へ向かえば下流の山口市内方向へ。大原湖と別れを告げ、小山を迂回するポイントに隧道はあった。右手ガードレールから一段下がった位置に隧道は現存する。
地面のアスファルトも落ち葉に埋もれ、現役から退いて長いようだ。長さは20メートル無いくらいだと思うが、岩盤にコンクリートの吹付を施すも劣化で所々痛みが見受けられる。
隧道をくぐってみる。落石がおっかないが、車通りの無い平和な時が流れる。
モノクロ写真に写っていた記念写真のポイントがまさにここと推測する。
隧道右上の剥がれ落ちた岩盤がまさに一致しており、ここです。観光マップで見た写真の場所を訪れることができ感無量の瞬間!
2本繋ぎの隧道のうち、上流側の1本は現道工事の際に切り崩され残念ながら現存しない模様。
振り返るともう1本素掘り隧道が現存。両者に言えることだが、トラック輸送の事を考慮しているのか幅高さともに余裕を感じる。
各地に現存する森林鉄道の素掘り隧道を鑑みると間口が広い、さすがは国道設計なのだと感心するが切通ても良かったのでは・・・?
この後、旧道は山肌に沿い489号に接続。
ちょうどその付近に立地するのが国指定史跡「野谷石風呂」。
滑森林軌道が廃止される遥か765年もさかのぼる、1186年に掘られたサウナ。ちょっと舐めた解説だが、石風呂が現存し当時の言い伝えが現代に残りるのもまた歴史的価値が高い。
最後に、下流域の治水に貢献した佐波川ダム。河口近くまで下ると西日本の高速道路利用者ではお馴染みの佐波川サービスエリアが立地する。佐波川沿いは徳地の中心地、堀駅から防府駅まで結ぶを防石鉄道が存在していた。1919年開業、1964年の廃止と近代を生き延びることができなかった地方私鉄だが遺構も残り、いつかこのページで紹介できればと思う。
大原湖と名が付く佐波川ダム。大原は水に沈んだかつての集落名だ。集落は滑林道の起点部分にあたる佐波川と梶畑川の合流地点付近へ移動した。大原郵便局の前を通る道路が旧国道で、徳地町立柚野小学校が通りを上流に進んだ場所に立地する。山口営林署に従事するご子息が通った野谷分校、滑分校などを統合移転し1955年から今の場所に立地しているが2002年に廃校となった。
防府の町へと続く佐波川を治水する重要なダム。
向かって右側の湖畔を通行できるようになっているのだが・・・
タモリが名付けた”ワッフル”ことコンクリートスラブを横目にダム堰堤から続く山に穴が開いているではないか!
(ワッフル:いつだったかのタモリ倶楽部参考)
釣山隧道。1954年に竣工し延長220メートル。
心霊スポットとして、現地の若者から人気を集めているとの情報もある。確かに雰囲気満点だ。頭上の照明が球切れしていなことから管理の良さが伺える。上流側開口部。コンクリートの門構から印象が変わって見える。
以下、ドライブレコーダーから抽出した車載映像。
映像からもわかるように、220メートルの長さは圧巻。狭さも相まって一段と長く感じる隧道だった。
ダムの堰堤から容易にアクセスでき、オススメの一本だ。
以上、非常に長い余談となってしまった。
因みに発行された国土地理院地図の過去全編を調べたが、森林軌道の記載表示は無かった。防石鉄道の記載はあれど林用軌道の記載を省略している例はほかにもあり、軍事的に狙われる危険性を考慮したと言う。
徳地てんこもりマップから紐解いた探索ではあったが、記載される路線図と食い違う点があり後日訂正した地図を添付しようと思う。
滑林道から紐解きこの地域一帯、非常に濃い歴史を探ることが出来た。支線に関しては不完全燃焼、資料捜索もやや甘いかもしれないがひとまず山口市徳地の森林鉄道レポートは完結とする。
END
前回
初回
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滑林道の探訪は2019年と20年の2回。ようやく記事を完成させたのが2021年の4月。今回の知見が以降の探索に役立つ結果となった。実は、滑林道を皮切りに九州の森林鉄道の探索を進めている。九州の森林鉄道と言えば内大臣のレポートを多く見かけるが、実際多くの森林鉄道が九州に敷かれたのも事実。私を含めた3名で「超地」を名乗るチームを構成し毎冬に活動を行っている。今後もめんどくさい気持ちと戦いながらも、忘備録としてレポートを残していきたい所存だ。