初回に滑林道を訪れて1年が経った。その間、森林軌道に対する意識は深まり他の路線を訪問する前に、改めて調査をしようと我々は山口へと向かった。

まず、訪れたのは山口県立図書館。
滑林道への理解を深めるべく、森林鉄道の記載のある書籍をチェック。


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国有林の展望 / 大阪営林局 / 1952.03出版

これより、大阪営林局管内の林業環境を伺うことが出来る。戦後復興、人口増加のため建築材料の需要が高まり、林業大繁忙期の記録である。

42-43ページより引用

「土木事業
森林経営がまだ本格的にならなかつた明治の前半においては、比較的地の利をもつ里山ばかりが伐採され、その搬出方法も担出し、駄馬・地曳・川流しなどの原始的な手段に過ぎなかつた。明治の後半に入り、森林の利用と山村の更生のために奥地林を開発することになり、林道が敷設せられた。」

明治の後半より効率を上げるための林道整備に着手したのだろう。山の奥へ奥へと林道を伸ばし、山林管理の範囲が広がって行く。

「すなわち、その最初につくられた滑(なめら)林道(山口営林署)が明治二十七年に竣工し、つづいて同三十二年に恵下谷(えげたに)林道(広島営林署)が、同三十四年には不明(あけず)林道(広島営林署)と八尾林道(大津営林署)および菩提山林道(奈良営林署)などの牛馬車道を解説したのです。」

滑林道の竣工が明治27年、西暦1894年。大阪営林局管内の初めての国有林林道であり歴史ある林道であることが分かった。

「高野山国有林の直営生産事業も、明治三十八年に高野林道の幹線として椎出から塵無を経て二六林班に至る木馬道と、椎出から九度山土場間の仮軌道が設けられた時からはじまつている。」

高野山国有林の一部区間に敷かれたレールこそ、大阪営林局管内初めての森林鉄道だったことが伺える。この当時は鉄道花盛りで、神戸-下関間の鉄道全通が1901年の事である。

「明治三十九年、現在の九度山貯木場が竣工し、椎出九度山貯木場間の森林鉄道が完成した。つづいて幹線木馬道がしだいに森林鉄道に改められ、二六キロメートルの森林鉄道が完成した。
そののち、他の営林署において新線が開設さられるとともに、それぞれ馬車道が森林鉄道に改められたものもあつた。すなわち滑林道が明治四十二年、恵下谷林道が大正十五年、不明林道は昭和四年に改修された。」

滑林道の森林鉄道改修は1909年のことであるようだ。序章に登場した”徳地てんこもりマップ”の情報はこれで解決。どうやら本当に明治42年開通の森林鉄道だったらしい。西日本でかなり初期の段階に開通した森林鉄道で、廃止も1951年となれば、およそ42年間と長期の活躍を果たしたようである。余談ではあるが、鹿児島県の(旧:古江線→)大隅線が全線開通し、廃止されるまでの間はなんと15年である。いずれレポートしようと考え中だが、特に1972年に延伸開業した海潟温泉-国分間のトンネル・高架橋の作りの良さは一級品の高規格路線である。話がそれてしまった(脱線)。

「戦後は直営生産の製品をなるべく市場近くまで搬出することが有利となつたので、貯木場を整備して自動車運搬をすることになつた。そのため自動車道が新設されるとともに、古くからの森林鉄道もしだいに自動車道に改められるようになつた。恵下谷・不明・滑の三林道がこれである。前二者は従来森林鉄道で途中まで運搬し、水内川の水利によつて広島まで輸送していたのであるが、この地方の道路網の発達によつて森林鉄道の価値がなくなつたからである。つまり林内より一工程で運搬するのはあらゆる点で有利なことが明らかである。
最近の林道工事の特色は、利用される森林が奥地へすすむにつれて路線の伸長とともに地形が険しくなり、勾配がきつくなつてきたことである。これまで急勾配の場所はインクラインで運搬していたが、これは比較的能率的ではあるが建設費がかさむことと移動不可能の欠点があつた。現在はこれにかわる方法として架線索道、特に自重式による簡易無動力式のものが採用されている。これは移動性があることと設置費用の安いこと、さらに運搬能力も相当に高いので、今後もますます発達し普及するようになると思われる。」

自動車輸送への転換である。滑林道は、大規模な水害が原因で廃止となったのが少々特殊な例ではあるが、遅かれ早かれ自動車輸送への転換は行われる時が来たであろう。
「国有林の展望」には、貴重な写真が掲載されており、森林軌道はもちろんインクラインや索道などの活用風景が記録されている。出版された時点で、索道は画期的だと書かれているが当時からの現役林業索道は皆無だ。現在、現場で活用されている索道は仮設型で、撤去を前提とされている。


次の資料に移る。


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徳地町史 改訂版 / 徳地町役場 / 2005.09

徳地町史の2005年改訂版である。今回、山口市徳地総合支所徳地地域交流センターより、当ブログにて森林鉄道の項の掲載許可を頂いている。出版元に感謝申し上げたい。

327-330ページより引用

「6国有林
省略
(3)林道及び歩道
滑川に沿う林道・軌道幹線は明治二十七年に起工開通したもので、利用の増加につれ拡張され昭和十年現在の林道は次の通りである。」


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昭和10年の林道データだ。
これから察するに、やはり川に沿って分岐した支線には名前が付いていたのだろう。林野庁が公開するデータに記載されているのは、”滑林道幹線”これは幹線という書き方はされていなかった、”日暮線”、”密成線”これは昭和10年の時点で木馬道扱いとなっていたようだ。


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図の下に掲載されているのは「森林軌道の視察風景(野谷、大正末期カ)」とレールが見えた写真である。この時点で馬車軌道による材木輸送を実施していたようである。野谷とあるので、森林軌道終点の貯木場付近のことだろうか?

徳地町史からは支線名を知ることができ、個人的には大変な収穫だったと思う。


さて、現地でチェックすることのできた最後の資料がこちらである。


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「國有林ト公有林野官公造林地 / 山口営林署」昭和六年山口懸営林舎寄贈

となる絵葉書である。絵葉書の著作権保護期間はすでに終了していることから、山口県立図書館の収蔵品としてここに公開することにする。全8枚の構成である。


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「字滑山國有林軌道運搬ノ實景」

大変貴重なトロッコ現役の風景である。
まず、場所の特定から入ろう。川沿い、分岐する路線が写っている、進行方向が向かって左側へ下っているなどがヒント。川の右岸を走っており、分岐していく路線はその川を渡っているようだ。家屋が建っているため集落が近い。そして背後の山の落ち方が特徴的だ。背景のヒントを頼りに考えると野谷の集落、現在「祖父橋」が架かる付近を写したのではないだろうか。


スクリーンショット-(208)

背景の山の特徴と、集落の雰囲気、川沿いを行く森林トロッコの恐らく当時の石垣なども残っており、私の答えはここだと考える。じゃあ、上流から分岐してきた路線はなんなの?!ほかの地域の森林鉄道にもあることなのだが、林業従事者が住む集落へ直通する支線なのだろう。もちろん、当時は自動車道が整備されているわけでもなくあるのは軌道のみ。通勤と言うか、現場へはトロッコへ乗って山へ上がったり下ったりの毎日だったわけである。

それで、トロッコは機関車無し?大木の自重で下らせてたのかなー?奥左の立っている人は長い棒のようなものを持っている。そしてトロッコの後ろ車輪付近から斜め向きに延びる棒のようなものが写っている。これがブレーキなのだろう。トロッコ右手前の人はブレーキから伸びるワイヤーを握っており、これで制御していたのだろう。また、このトロッコに積まれる荷物にはそれぞれ札のようなものが付いており、生活物資が届けられていたのだろう。

そもそも、昭和6(1931)年と馬車道から森林鉄道へ改められた直後の風景であるため後々、機関車などを用いた効率化が成された可能性は高い。森林鉄道開業して間もない貴重な風景として捉えよう。写真が残っていると言う点も興味深く、この当時の写真はガラス板写真とロールフィルム写真の転換期にあたる。写っている写真の雰囲気を見ると、三脚を据えた大判カメラでの撮影のように思う。

森林鉄道に関する絵葉書は一枚のみで、あとは管内の風景写真だ。


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「字滑山國有林 舊藩杉扁拍造林地 (林齢百三十年)」


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「字滑山國有林 舊藩椎造林地 (林齢百三十餘年)」

この二枚写真から大判カメラで撮られたのではなかろうかと推察する。林内は非常に暗く撮影環境には三脚必須である。また当時の感光乳剤は感動が低かったため露光時間はかなり長かったのではないか。良い写真である。


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「字滑山國有林 三十一林班外一林相」

以上が滑山国有林に関する絵葉書である。
残りの解説は控えることにし、参考程度に掲載しておくことにする。


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山口営林署管内の山林風景絵葉書は、以上。
撮影はいずれもタカス氏(@slagheap_tcs)


年代継ぎはぎで、末期の森林鉄道の状況が伺えなかったのが残念である。林鉄の軌跡 大阪営林局管内の森林鉄道と機関車調査報告書/ないねん出版 に山口営林署の図版が載っているようなのだが、昨今の事情もあって図書館での確認を今まで行えていない。また、当時の林業関連誌などに記載がある可能性があるためその調査もいずれ行いたいと思う。


次回は、滑林道の関連施設と再訪の記録である。


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次回



引用
国有林の展望 / 大阪営林局 / 1952.03出版
徳地町史 改訂版 / 徳地町役場 / 2005.09
國有林ト公有林野官公造林地 / 山口営林署 / 昭和6年