支線の終端と思われる三本杉付近まで探索したところで、およそ5kmほど引き返し、再び梶畑川と滑川の分岐点まで戻ってきた。ここからは、梶畑川沿いに伸びている支線の探索を続ける。実は、この時点で17時前と時間がひっ迫しており急ぎ足で探索している。


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戻ってきた分岐点。向かって左が滑川、三本杉方面。右側はこれから進む梶畑川沿いの支線方面だ。


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野谷集落から続く舗装路であり、路肩には石垣が並ぶなど恐らく当時からの痕跡が残る。
梶畑川を一度渡るのだが、残念ながら橋梁の痕跡を見つけることはできなかった。


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現れる森林鉄道と市道の分岐点。この道を直進すると滑林道、右に分岐していくと県道26号方面と夜間に走ればトラップに引っかかりそうだ。右方向の道の先には集落があり、当時は分岐した先にも線路が伸びていたのかもしれない。


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軌道上から振り返る。なんとなく、当時の雰囲気を感じることができるのでは?
左に写る看板は、ここでも発見!古レールである。


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最新の幅員狭し標識と、注意標識のCollaboration!新標識の支柱に古レールが針金で固定されており、今しばらくは現役を保ってくれるだろう。発見できた古レールは何本目だったかな?

では先に進むとしよう。


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いかにも、森林軌道っぽい雰囲気だ。左側には石垣で段差が作られている。心強い轍だが、毎回この道を車で進んで大丈夫かなと心配になるものである。

再び梶畑川を跨いだのだが、橋梁らしき痕跡を見つけることができなかった。


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梶畑川を左手に山を上る。川沿いの未舗装路と言う光景は今日一日何度見たことだろう。私見なのだが、森林鉄道にしては少し道幅が広いことから、軌道廃止後に拡幅したのではなかろうかと思う。


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別の支線で見た古レールの側溝をまた見ることが出来た。標識の支柱になってるレールよりは太い気がするのだが、規格が違いそうだ。


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ある程度林道を走った所、現林道の分岐点に辿り着いた。
その付近を見ると道路沿いに茂った平場が見える。たぶん、ここがトロッコの積み出し場だったのではなかろうかと推測。藪で何も見えないが、太い木々が生えておらず林道に対して水平なところからここじゃないかな~?たぶん、ここが終点でしょう!?


大阪営林署滑林道の探索記録はひとまず以上となる。
今回の探索で目立つ遺構は、コンクリート橋脚と橋台、石積み橋台、古レールがおいしい物だろう。廃線から半世紀以上が経った今も、遺構が現存するというのは大変ありがたい話である。一部区間を除いて道路転用されているため、軌道跡の痕跡を辿ることはかなり厳しかった。森林鉄道は山林の伐採が終わると、山を変え支線を延ばしたりすることがある。つまり、開業年度は一概に同じとは言えず、廃止年度も同じだ。レールを回収し、別の線路に転用することもある。そのため、遺構の残り方は路線様々なのだと思われる。


次回は、2020年2月に滑山を再訪した記録から始めるとしよう。


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