森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -本線区間7- 目指すは三本杉



 再び分岐点へと戻ってきた我々は、三本杉方面である滑川に沿って山を登って行く。前回述べたように、時間があまり無い。


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 前回は向かって右側へ、滑川を渡り山の中腹まで行き引き返した。今回は直進する。


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 川沿いをしばらく走り、広場が現れた。下流の方にカメラを向けている。


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 「ニッセイ徳地の森」の看板があり、日本生命が2002.3.25~2081.3.31を契約期間に植樹運動を実施しているようだ。


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 この林道、一部未舗装、部分的に舗装路とハーフな路面状況だった。三本杉までの道のりはなかなか険しい。


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 しばらく走ると、注意標識を発見。昭和25年から昭和46年までのデザインであり、注意を促す標識だ。昭和46年以降は、具体的に何に注意するかより詳細な標識へと変更されている。この標識、何に注意すべきか自身が語ってくれている。


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 注意すべきは...古レール出ました!か弱い赤錆びた古レールが標識の支柱として再利用されている。密成支線で見つけた、地面に刺さり突っ立つ古レールも同じく標識の支柱として利用されていた可能性が高いだろう。


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 徳地てんこもりマップの記載通りであれば、ここも分岐点であろう。左に分岐し、右は滑川沿い三本杉方面となる。残念ながら分岐した先は伐採作業中のカラーコーンがあり立ち入りは遠慮させていただいた。だが実は、別日に徳地方面へ訪れる機会があったためこの分岐へと踏み入れてみた。写真は無いが、森林軌道には少々勾配がキツ過ぎるのではないかと言うほどの上り坂の林道が待っていた。おそらくだが、当時の軌道は分岐してほとんど進まず、少しの位置で終わっていたのだと推測する。


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 ここで気になったのが地面だ。四角く切られた岩が埋まっている。自然な感じではなく、明らかに人工的に埋めたように見える。これはおそらく、先述の分岐点にあたり、豪雨の際に林道が川となってしまう。分岐先から流れてきた雨水の水流で地面が流されてしまうのを防ぐために、ここに石を埋めて土壌流出を防いでいたのではないだろうか。


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 分岐から三本杉方面へと上って行くとすぐに川を渡る。名称不明だが、この川は滑川へと合流する。この橋はコンクリート製で、橋梁も橋台も後年設計のようだった。


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 しばらく走るとなぜか舗装路へ切り替わった。段々と勾配がきつくなってくる。カメラは下り方を向いている。


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 地面に注目すると…


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 また発見、古レールだ!溶接加工され、側溝の蓋へと転身していた。しかし、標識支柱とは違う太めのレールだ。刻印を確認しなかったのが悔やまれる。


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 とうとう滑山の目玉である三本杉まで到達した。遠目から見ても、これだろうなと見極められる圧倒的サイズだ。探索シーズンは緑の元気がない時期だったため迫力に欠けるが、夏場は数倍大きく見えるだろう。


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 探索レポート初回にてお伝えした、微妙な三本杉へのアクセスマップから、ようやく真の案内看板へと辿り着いた。詳細は看板を読んでいただきたいが、平安末期、東大寺再建の時から歴史のあるこの地に、樹齢推定300年の杉が三本寄り添って立っているとざっくり要約できる。


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 真下へ来ると圧巻のサイズだ。平成13年の時点で、高さは最長46m、周囲も最大510cm。この三本杉のすばらしさに、インスタLIVEなど配信を希望する方々が現れるかもしれない。しかし残念無念、ここは圏外の深き山奥なのだ。


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 それで、三本杉から元来た道を見てみると、石積み発見!


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 石積みを辿ると、三本杉の周囲へアクセスする橋のふもとまで続き、石積み橋台!


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 三本杉へ近づくために橋を渡る際に気付いていたことなのだが、これはどうも怪しかった。この設計はどう見ても、軌道用の橋台である。この先は茂みとなり、時間的都合もあり藪漕ぎは断念。この先まで続いていたと推測される。これは徳地てんこもりマップの記載にはない事実。


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 森林軌道とはここで一旦サヨナラして、確認もかねて林道を終端まで走ってみることにした。滑マツまで残り700mとの看板も出現。この先を行けば、登山コースへとアクセスできることになっている。


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 これと言って特に何も無かったため割愛するが、同行する蛸酢氏に倒木をどけてもらいながら進行した。トロッコでは無理の在るような勾配やカーブを進み、解放された進める実質の林道終端へと辿り着いた。


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 登山道の看板が設置されている。滑松と言うのは、ここら周辺に自生する松の事のようだ。これにて滑川沿いの探索は終了とする。

 道路転用されたため、これと言ってビッグな遺構は見つからなかった。しかし、小規模な見落としそうになる小さな発見がいくつか拾えたのが幸いだった。特に路線図は正確な地理院地図からデータを引っ張り出し確認する必要がある。


 次回は、かなり引き返し梶畑川の分岐に戻り再スタート。滑森林軌道の探索レポート最終回となる。


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森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -本線区間6- 鬼ヶ河内支線(自称)を行く


 前回の区間まではストリートビューで事前の調査が可能となっている区間だ。ここからは未知のゾーン、オフロードの始まりである。オフロードと言ってもそこまでハードな未舗装道ではなく、フラットダートで四駆乗りとしてはやや物足りない。道の良さは管理の良さであり、さすがは国有林だ。

 滑の簡易トイレが設置される分岐点から始める。左へ行けば滑川沿い、右へ行けば鬼ヶ河内川沿いだ。支線名は登録されていないようなので、通例に基づき鬼ヶ河内支線と勝手に名付けよう。ちなみにこのトイレはバイオマスタイプなのだが、シャッターが閉ざされていた。急を要する場合にはふれあいパーク大原湖まで川を下る必要があるため注意してほしい。


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 ストリートビューで訪れていた時からこのポイントが妙に気になっていた。左側の道へ直進すれば三本杉方面となる。右へ曲がって行くと鬼ヶ河内支線へと進むのだが、何か見えませんか?


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 川を渡るため、岸と岸を結ぶ一本の道、橋が架かっているのだ!枯れたツタが絡まり、アクセスは困難、足場の状態も見当がつかなかったため渡らなかったのが悔やまれる。自動車道は少し奥でカーブし川を渡っている。


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 もしやこの橋、当時から架かっているのでは?!ストリートビューで見たときは、PG(プレートガーター)のように見え、この遺構を見つけてしまうとかなりの大発見なのではないかと興奮していた。さて、当時からのPGなのか?と言う問い。答えはNOだ。現地に行って目の当たりにして、全貌がよく分からない構造である。素材を見る限りおそらく木橋だ。まあ、当時PGだったという根拠もないので、当時から架かっている木橋では?とも思ったがそれも違うだろう。1950年代の鉄道用木橋は写真でしか見たことないのだが、この写真のような構造では少なくともない。構造が新しいのだ。木材と金属のハイブリッド構造で、踏板はトタンのように見える。


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 古くからの橋では無いと言うことが分かり落胆したわけではない。石積みの橋台は間違いなく森林軌道時代の遺構だろう。車を止めている場所が分岐点。現在はレベルが高くなっているが、そこから藪の部分でカーブし橋を渡っていたのだろう。当時、橋が架かっていた場所に今でも橋が架かっているという変遷が見えるこの区間は、何とも胸が熱くなる光景だ。しかしなぜ橋を架け直したのだろうか。


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 滑川を渡り、山へと進む。写真は下流側、橋を渡った先の部分を写している。橋の先は写真の通り、私有地となっている。


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 先ほどの写真から引くと、おそらく軌道に沿って積んでいたであろう石垣が残っている!綺麗にカーブを描き、土盤を支え続けているのだ。現在の林道は少々レベルが上がっている。


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 さて、少し引き返すが先ほど森林軌道が渡った滑川の先で自動車道も滑川を渡る。その橋梁が林道らしい構造をしている。写真手前はほぼ直角に曲がるきついコーナーで、歩道のように橋が外へせり出している。これは木材を満載にしたトラックが曲がる際、リアオーバーハングが引っかからないよう設計した林道らしい工夫である。


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この道路沿いの側溝でも古レールを見かけることが出来た。計測していないので、はっきりは分からないが15kgレールか?


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 この地は人の気配が無く、少々気味が悪い。空き地が広がるが、最近まで何かしら大きめの建物があったような形跡がある。

 実はもうこの時点で15時前とかなり時間が無く焦っていた。この先はかなり軽度な探索となっている他、あまり写真もない。


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川に沿って進む林道は所々、石垣が残り緩やかな勾配がそれっぽさを醸し出していた。


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 途中少し開けた場所があったため、ここで車を転回。この線の探索を中断し引き返すこととした。もしかするとこの先、何かしらの構造物が待ち構えていたのかもしれない。

 次回は、分岐点へと戻り三本杉方面へ。


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森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -本線区間5- 集落に人影無し


 橋梁を渡り梶畑川の左岸へ復帰した滑林道森林軌道。ここから再び自動車道と合流する。

 今回は滑林道最初の分岐点、滑川に沿って山を登って行くことになる。


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 自動車道へ復帰した軌道。向かって奥が下流側。こちらも石垣が残っているが当時の物だろうか。1951年以降、自動車道へ切り替えの際に舗装や拡幅をするとなると、定型サイズのコンクリートブロックで擁壁を組み上げる施工と予想される。


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 ここで滑川が梶畑川へと合流する。と同時に林道も分岐を行う。分岐を左へ向かうと滑山、右へ梶畑川に沿って行くと藤ケ谷方面だ。「ニッセイ徳地の森」まで3km、「三本杉」まで4.9kmの案内看板がある。


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 滑川・梶畑川の分岐。欄干の低いコンクリート橋を渡って、まずは滑川に沿った軌道跡を辿って行くことにしよう。

それで、橋の上から川を覗いてみると,,,


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 それっぽいもの発見!荒い骨材の感じから、おそらく倒れたコンクリート橋脚だろう。ちなみにだが、この橋は森林軌道時代の橋台を再利用しているように見えた。

 滑川に沿って上って行く途中、一度川を渡るのだが森林軌道時代の遺構らしき人工物は発見できなかった。明らかに後年架けたコンクリート橋が残るのみ。

 橋を渡って、年代不明の石垣を横目に、右手に滑川が流れる。水流こそ大人しいものの、ガードレールは無いのであまり夜間は走りたくない…このあたりからはもう、圏外となってしまうので事故は避けたいものだ。


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 カーブを曲がるとそこには年代物の警笛鳴らせの標識を発見、しかし私は見逃さない!


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 断面マニアの皆様、お待たせいたしました。古レールの再登場です、どうぞ!標識の支柱としてかくれんぼしていた。レールのエッジによって標識が折れ曲がっている。


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 しかし、この絵柄の標識が制定されたのは昭和38(1963)年。この森林軌道が廃止されたのは1951年。う~ん。林道整備されて標識が設置されたのは廃止から12年も経ってから??木材需要や、国有林であるがゆえに、序章に記した水害が終わった後は割と早急に道路転用が進んだのではなかろうか。となれば、昭和38年以前の角型の警笛鳴らせ標識が設置されていてもおかしくないはず。1963年以降の標識をわざわざ古レールを支柱に設置したのも疑問が残る。森林軌道に思いを馳せた職人たちの遊び心だったと妄想、勝手に完結。

 廃屋などの横を通り、舗装路を走る。電線が通っているのだが、この区間にある民家に人の気配は無い。


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 また発見!下り方面へカメラを向けているが、古レールを利用した柵が設置されている。しかも5本も!たまらんばい。更地になったのは最近のごとく雑草が少ない。


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 新たなる分岐点へたどり着いた。徳地てんこもりマップで言う所の「滑の簡易トイレ」に位置する。親切なことに、ここから各山頂や見所へのアクセスマップが設置されている。まあ、ここへ登山に来る人と言えば案内図も不要な達人たちしか来なさそうだが…もちろん、これまでに存在する観光案内看板には森林軌道の記述など一切ない。
 話を戻すと、徳地てんこもりマップではトロッコ道と書かれたラインはこの位置で二手に分岐している。実際、道路転用されたであろう自動車道もここで分かれているので、マップの通りだろう。

 ここから先はストリートビューでロケハンが出来なかった区間へと入る。実をいうと、ここから先はあまり時間が無くスピーディーに見て回ったため再訪の余地あり、見落としがあった気がする。詳細探索を行い、再度レポートに記したいと考えているため、ざっくりとした探索記録となることをお許し願いたい。


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森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -本線区間4- 川を何回渡るのか?


 密成支線の探索を終え、再び本線に戻る。この先、梶畑川流域と滑川流域への分岐が見込まれている。


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 森林軌道は川の左岸を走る。道路転用され、森林軌道と自動車道は現在重複している区間だ。


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 そしてしばらく走ると、コンクリ橋台発見(本日2回目)!ちょいとトンガリ気味で良い形だ。洗堀が進み、いつか倒れそうな雰囲気。


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 橋脚の背後に空間があるため、橋台があるのか?


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 足元を見れば左岸側の橋台ももちろんある。角度的に全体像を拝めないのが残念。水中に、真っすぐ角型の荒いコンクリート製の何かが沈んでいる。もしかしてこれって、橋桁???落ちている位置と言い、太さと言い、骨材の荒さと言い可能性は高い。


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 これより、川の左岸を自動車道、右岸は森林軌道となる。なんとなく軌道上が開けており森の中を走っていたのだろう。この探索の時期はまだ渡川なんて考えもしなかった。何かしら遺構が残っている確証を得れば、軌道跡を歩いてみたい。


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 川へ降りられる場所があったため、水辺まで降りてみた。この木々の中を軌道があるらしい。ずっと橋脚跡から目を凝らして来たが、ずっと木々が茂っている。


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 因みに、河辺へ降りた理由がコレ。コンクリ橋脚がある。森林鉄道関連アイテム??恐らくだが、森林軌道上の奥に谷があり、治山のための砂防ダムか何かを建設するための工事用橋の跡と思われる。写真の杉林下付近を軌道が通っていた。


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 道路上から橋脚を見下ろす。軌道がどこか分からない…写真に補助線を入れたら分かりやすいでしょうか?

 しばらく川沿いを走るが、途中それっぽい軌道のありそうな地形が消えた。木々が立ち、平場が全く確認できない。

 実はストリートビューでアタリを付けていた。なんか小さいコンクリートの壁が対岸に見えているような気がする。


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 問題の区間へ到達した。道路は川に沿ってS字を描く。


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 出ました橋脚(本日3本目)!右岸側の橋脚は今もしっかりと立っているが、川の中に立っていた橋脚は洗堀され倒れてしまっている。


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 上流側の橋台。案外肉厚なコンクリートで直方体ではなく、少し窄まった形だ。


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 再び橋梁跡を見る。改めて観察すると橋台は2本倒れているようだ。骨材は荒いし、基礎の作りが悪かったのか、どこに建っていたのかよく分からない。崩壊したコンクリート橋台の一部は川に流されて下流側にも落ちていた。


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 洗堀され倒れた橋脚の足元を見ると、古レール発見!基礎の一部にレールを使用していたのだろう、他にも何本か露出していた。


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 手前が川の上流方面、橋台だ。2本の橋脚が倒れ、奥にもう1本橋脚が立つ。その奥に橋台があるのか確認できなかった。
 さて、この橋梁跡まで川沿いに軌道跡が見えない区間があった。その区間は、山の岩場を砕いて切通で貫いていたのだ。残念ながら写真では表現しづらい空の開けた空間が見えたため、そう判断した。切通から橋梁を得て対岸へ渡る、滑林道最大の遺構が集中するポイントだろう。


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 上流側の橋台の上部は特徴的な形だ。コンクリート部分には石が埋められており、内部の土は流されている。橋台に切り欠きがないため、木橋を架けていたのか?


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 道路にアクセスする、橋台から先を写す。杉の細さからして廃止後に植えられたのだろう。


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 梶畑川を再び渡った軌道は、自動車道と合流する。
 なぜわざわざ川を渡ったのか、この間に支線の分岐は無いし、川を渡せば災害による橋梁流失の可能性もある。しかし、素晴らしい橋梁跡だった。

 次回、自動車道と合流した滑林道本線をさらに森の奥へと進む。


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森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -密成支線- ついにアレ発見!


 今回は滑林道密成支線を探索する。改めておさらいをすると、この支線の書類上の廃止年度は1956年となっている。戦後11年、ある程度復興も落ち着き木材の需要も減少した頃だろう。もしや、意外と残りが良かったりするんじゃないの?とか期待しながら本線との合流地点から、密成川を遡って行く。地図で言う密成観音を目指すことになり、そこが起点付近と推測。

 林道としては、軽い倒木に気を付ける程度でアップダウンや路面のコンディション等走りやすかった。さすが国有林だけあって管理がされている綺麗な森林と言った印象だ。蛸酢氏ナビの元、倒木を撤去してもらいつつ前進していく。


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 前回の続きから。密成観音の木製看板が目印となる林道へ入って行く。


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 先の写真撮影位置から角度を少し変えた、ほぼ合流地点付近の写真だが、全区間において石垣を見かけることが多かった。年代特定には至らなかったが、土砂を削って整地した名残だろう。

 しばらくオフロードを走り、密成川とのレベルの差が広がって段々と山を登って来たころ。何やら樹木とは違う、茶色く錆びたそそり立つアレ発見!


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 古レールだ(第一古レール発見)!なんかもう、良い雰囲気なのだ。レールがある、つまり鉄道が敷かれていた証し。生き残っていてくれてありがとう。別の回で解説するが、おそらくは注意看板の支柱として二次利用されていたレールなのだと思う。写真は、向かって奥が下流側。


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 刻印等は見つからなかった。計測していないが、森林軌道の中でも規格の細い6kgレールのように見える。


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 レールと言う証拠が見つかった。間違いなくここに軌道が通っていたのだ!この写真奥にも見えるように、石垣が途切れ途切れに積まれている。


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 築堤も発見。下山時に撮った写真であるため、向かって左が上流、右側が下り方面だ。粗目の岩石で組まれた石住擁壁がたまらない。傾斜地に築堤を築き、平地に改め凹凸の無い地盤を人工的に作り上げたのだ。


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 反対側より。手前に向かって行くと上流方面、写真左側の斜面を下って行くと密成川だ。築堤の幅は普通車1.5台分程度と案外広めの設計となっている。レールの次点でレベルの高い遺構を発見できた。


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 いつの間にか、林道終端部、これ以上は車で進めない位置へと上がって来てしまった。そして密成観音様もいらっしゃらない。勾配の上がり方からして、この広場が森林軌道の端では無いので引き返し、下山を開始。


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 終端部のこの先は登山道となっており、車はここまでしか行けない。密成観音様は、登山道を歩いてもう少し山手側だったか?森林管理看板も立派なものが設置されている、さすがは国有林。


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 少し下山してみたが、これですか?もじゃもじゃな茂みはなんとなく平場っぽい。人工的に木々が無い感じだし、ここからトロッコが山を下ったのだろうか。私の見解として、ここらで切り出した木々を積みこみ収材所へ走らせていた、トロッコ置き場があったと推測。ここが密成支線の起点部だと結論付けた。

 以上が密成支線の探索記録である。半世紀以上前に廃止となったレールが残り、石垣も現存する痕跡の収穫は大きかった。距離の計測を怠っていたのが悔やまれる。

次回は再び本線に戻る。密成支線から下山したのは13:20と、やや遅れ気味だった。路線図はこの先で、川に沿っていくつか分岐されることになっており、日没まで時間がない!

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