森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -本線区間4- 川を何回渡るのか?


 密成支線の探索を終え、再び本線に戻る。この先、梶畑川流域と滑川流域への分岐が見込まれている。


_DSC1596

 森林軌道は川の左岸を走る。道路転用され、森林軌道と自動車道は現在重複している区間だ。


_DSC1606

 そしてしばらく走ると、コンクリ橋台発見(本日2回目)!ちょいとトンガリ気味で良い形だ。洗堀が進み、いつか倒れそうな雰囲気。


_DSC1612

 橋脚の背後に空間があるため、橋台があるのか?


_DSC1602

 足元を見れば左岸側の橋台ももちろんある。角度的に全体像を拝めないのが残念。水中に、真っすぐ角型の荒いコンクリート製の何かが沈んでいる。もしかしてこれって、橋桁???落ちている位置と言い、太さと言い、骨材の荒さと言い可能性は高い。


_DSC1609

 これより、川の左岸を自動車道、右岸は森林軌道となる。なんとなく軌道上が開けており森の中を走っていたのだろう。この探索の時期はまだ渡川なんて考えもしなかった。何かしら遺構が残っている確証を得れば、軌道跡を歩いてみたい。


_DSC1663

 川へ降りられる場所があったため、水辺まで降りてみた。この木々の中を軌道があるらしい。ずっと橋脚跡から目を凝らして来たが、ずっと木々が茂っている。


_DSC1664

 因みに、河辺へ降りた理由がコレ。コンクリ橋脚がある。森林鉄道関連アイテム??恐らくだが、森林軌道上の奥に谷があり、治山のための砂防ダムか何かを建設するための工事用橋の跡と思われる。写真の杉林下付近を軌道が通っていた。


_DSC1676

 道路上から橋脚を見下ろす。軌道がどこか分からない…写真に補助線を入れたら分かりやすいでしょうか?

 しばらく川沿いを走るが、途中それっぽい軌道のありそうな地形が消えた。木々が立ち、平場が全く確認できない。

 実はストリートビューでアタリを付けていた。なんか小さいコンクリートの壁が対岸に見えているような気がする。


_DSC1740

 問題の区間へ到達した。道路は川に沿ってS字を描く。


_DSC1678

 出ました橋脚(本日3本目)!右岸側の橋脚は今もしっかりと立っているが、川の中に立っていた橋脚は洗堀され倒れてしまっている。


_DSC1700

 上流側の橋台。案外肉厚なコンクリートで直方体ではなく、少し窄まった形だ。


_DSC1690

 再び橋梁跡を見る。改めて観察すると橋台は2本倒れているようだ。骨材は荒いし、基礎の作りが悪かったのか、どこに建っていたのかよく分からない。崩壊したコンクリート橋台の一部は川に流されて下流側にも落ちていた。


_DSC1713

 洗堀され倒れた橋脚の足元を見ると、古レール発見!基礎の一部にレールを使用していたのだろう、他にも何本か露出していた。


_DSC1720
 
 手前が川の上流方面、橋台だ。2本の橋脚が倒れ、奥にもう1本橋脚が立つ。その奥に橋台があるのか確認できなかった。
 さて、この橋梁跡まで川沿いに軌道跡が見えない区間があった。その区間は、山の岩場を砕いて切通で貫いていたのだ。残念ながら写真では表現しづらい空の開けた空間が見えたため、そう判断した。切通から橋梁を得て対岸へ渡る、滑林道最大の遺構が集中するポイントだろう。


_DSC1732

 上流側の橋台の上部は特徴的な形だ。コンクリート部分には石が埋められており、内部の土は流されている。橋台に切り欠きがないため、木橋を架けていたのか?


_DSC1734

 道路にアクセスする、橋台から先を写す。杉の細さからして廃止後に植えられたのだろう。


_DSC1736

 梶畑川を再び渡った軌道は、自動車道と合流する。
 なぜわざわざ川を渡ったのか、この間に支線の分岐は無いし、川を渡せば災害による橋梁流失の可能性もある。しかし、素晴らしい橋梁跡だった。

 次回、自動車道と合流した滑林道本線をさらに森の奥へと進む。


前回

次回
執筆中


森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -密成支線- ついにアレ発見!


 今回は滑林道密成支線を探索する。改めておさらいをすると、この支線の書類上の廃止年度は1956年となっている。戦後11年、ある程度復興も落ち着き木材の需要も減少した頃だろう。もしや、意外と残りが良かったりするんじゃないの?とか期待しながら本線との合流地点から、密成川を遡って行く。地図で言う密成観音を目指すことになり、そこが起点付近と推測。

 林道としては、軽い倒木に気を付ける程度でアップダウンや路面のコンディション等走りやすかった。さすが国有林だけあって管理がされている綺麗な森林と言った印象だ。蛸酢氏ナビの元、倒木を撤去してもらいつつ前進していく。


_DSC1658

 前回の続きから。密成観音の木製看板が目印となる林道へ入って行く。


_DSC1659

 先の写真撮影位置から角度を少し変えた、ほぼ合流地点付近の写真だが、全区間において石垣を見かけることが多かった。年代特定には至らなかったが、土砂を削って整地した名残だろう。

 しばらくオフロードを走り、密成川とのレベルの差が広がって段々と山を登って来たころ。何やら樹木とは違う、茶色く錆びたそそり立つアレ発見!


_DSC1616

 古レールだ(第一古レール発見)!なんかもう、良い雰囲気なのだ。レールがある、つまり鉄道が敷かれていた証し。生き残っていてくれてありがとう。別の回で解説するが、おそらくは注意看板の支柱として二次利用されていたレールなのだと思う。写真は、向かって奥が下流側。


_DSC1627

 刻印等は見つからなかった。計測していないが、森林軌道の中でも規格の細い6kgレールのように見える。


_DSC1645

 レールと言う証拠が見つかった。間違いなくここに軌道が通っていたのだ!この写真奥にも見えるように、石垣が途切れ途切れに積まれている。


_DSC1641

 築堤も発見。下山時に撮った写真であるため、向かって左が上流、右側が下り方面だ。粗目の岩石で組まれた石住擁壁がたまらない。傾斜地に築堤を築き、平地に改め凹凸の無い地盤を人工的に作り上げたのだ。


_DSC1648

 反対側より。手前に向かって行くと上流方面、写真左側の斜面を下って行くと密成川だ。築堤の幅は普通車1.5台分程度と案外広めの設計となっている。レールの次点でレベルの高い遺構を発見できた。


_DSC1629

 いつの間にか、林道終端部、これ以上は車で進めない位置へと上がって来てしまった。そして密成観音様もいらっしゃらない。勾配の上がり方からして、この広場が森林軌道の端では無いので引き返し、下山を開始。


_DSC1634

 終端部のこの先は登山道となっており、車はここまでしか行けない。密成観音様は、登山道を歩いてもう少し山手側だったか?森林管理看板も立派なものが設置されている、さすがは国有林。


_DSC1636

 少し下山してみたが、これですか?もじゃもじゃな茂みはなんとなく平場っぽい。人工的に木々が無い感じだし、ここからトロッコが山を下ったのだろうか。私の見解として、ここらで切り出した木々を積みこみ収材所へ走らせていた、トロッコ置き場があったと推測。ここが密成支線の起点部だと結論付けた。

 以上が密成支線の探索記録である。半世紀以上前に廃止となったレールが残り、石垣も現存する痕跡の収穫は大きかった。距離の計測を怠っていたのが悔やまれる。

次回は再び本線に戻る。密成支線から下山したのは13:20と、やや遅れ気味だった。路線図はこの先で、川に沿っていくつか分岐されることになっており、日没まで時間がない!

前回

次回
執筆中


森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -日暮支線・本線区間3- 石垣が残る支線


 今回は最初の支線である日暮支線を探索する。と言っても、探索に行った日たまたま伐採作業を行っており林道を通るには少々迷惑と思い、少し行ったのみで引き返してしまった。この区間はぜひリトライしたい。

 前回の滑林道本線からの分岐点から始める。2級森林軌道はとんでもない角度でカーブする線路もあり、どのようにして本線と支線が分岐していたのか想像するしかない。ただ、支線の下り勾配からいきなり本線に入り続けて下って行くのは、速度抑制の観点からしてスイッチバックで合流したのではないかと推測する。


_DSC1552

 左を流れるのが日暮川、おだやかな小川だ。分岐して川の左岸を走り、現在の林道はすぐに橋を渡り右岸を行く。


_DSC1559

 下流側にカメラを向ける。谷地を行く線形で、道路は写真右手に立地している。軌道跡はと言うと、川を渡らず左側か?


_DSC1566

 苔生した石垣が見え、その上に狭い平場が見える。おそらく軌道跡だろう。しかし、その先は平場が消え行方不明。現在の道路はコンクリートでしっかりと固められているため、森林軌道廃止後に作られたのだろう。
 
 わずか数百メートル進んだこの先は作業中だったため引き返し、またいつか調査に出かけようと思う。


 再び、滑林道に戻る。


_DSC1548

 前回のコンクリート橋遺構から幾分かレベルが高くなった軌道跡は、再び川に沿って進む。マリアナブルーが美しい梶畑川が見えるだろうか。


_DSC1593

対岸にそれらしい痕跡も見えないため、軌道跡が道路転用されたと推測する。


_DSC1658

程なくして密成支線の分岐点へ到着した。

確証の持てる収穫が無かったうえ、探索完了とはいかないので是非とも再訪したい。次回は密成支線を行く。


前回

次回


森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -本線区間2- 耐えろ!コンクリート遺構


 今回より、梶畑川上流方面を目指す。集落を抜けた先が本格的な森林軌道の始まりだ。これまでの区間、何もそれらしき痕跡を収穫することが出来なかった。物語る遺構に出会いたい!その一心で先を進む。

 軌道敷きは集落を過ぎ、程なくして道が消え森に飲まれる。対岸のアスファルトを車で走りながら川を遡っていく。


_DSC1485

 何も間違ってシャッターを切ったわけではない。お判りいただけるだろうか、画面中心付近の木の根元に積まれる丸石の姿!人間の手で積まれた、自然では成せない石垣では!?フィールワークの中で初めての収穫なだけに、写真で撮るには判別しがたい小さな遺構を発見した。


_DSC1486

 少し上流側へ移動。こちらも写真でお伝えできるか不安だが平場が見える。画面中央、斜めのラインが見ません??森林鉄道探訪の諸先輩方に習い、赤や青のラインを引いてしまおうか…


_DSC1489

 もう少し上った所に、平場と共にあからさまなコンクリート擁壁があった。写真の落差工を設置する工事の際に整備されたようで、現役時代のラインと一致するか不明瞭なため割愛する。が、昭和26年豪雨をきっかけに治水整備がされたのは間違いないだろう。環境保全の意味合いではイマイチな施工ですよね。


_DSC1523

 見える!?川沿いを行く一段高くなった平場が!対岸の道路から半五郎川沿いを行く林道へアプローチでき、写っているのはその道だ。林道の勾配に沿う形でコンクリート擁壁が設置されているので、林道整備のために一度平場がお目見えしたのだろう。


_DSC1505

 沈下橋を渡り、とうとう軌道跡と思われる地へ立ってみた。経験ありますよね、いざ目の前にしてみるとラインが消えるとき。木が生えない、鬱蒼とした茂みの感じは国鉄廃線跡でも見かける雰囲気だ。


_DSC1509

 とここで足元を見ると、側溝の蓋に文字が書かれている。「大阪営林局」現在の名は“近畿中国森林管理局”と名を変えているが、国有林であるという紛れもない事実を側溝の蓋が物語っている。


_DSC1497

 沈下橋から上流方面を眺める。石垣堤防は恐らく当時物だろう。しかし、林道を横切った先のルートは全く見えてこない...しかし、本当にきれいな川である。夏場に水遊びでもしたら最高に気持ちがよさそうだ。


_DSC1531

 今回のハイライト来ました!コンクリート構造物発見!!
 ストリートビューですでにロケハン済みであったが、実物を見てしまうとそれはもう感無量。いや、素晴らしい。


_DSC1535

 今も架かる橋が無いまま、川の流れに耐えている。切り欠きのある真ん中・右の橋脚、いや右に関しては地盤が流されているため橋台だったのだろう、この部分に長めの橋を渡していたのだ。一番左の地盤も流出してしまっているが橋台となる。つまり、先の石垣堤防からここまでは路盤が流出してしまっていたのだ。川の左岸へと渡り、再び川岸と並行するようにカーブし、杉が3本生えている位置で少しずつレベルを上げていく。
 因みにだが、近畿中国森林管理局のホームページでは似たような角度で、このコンクリート橋脚の写真をチラ見せしている。担当者は知っているのか知らないのか森林軌道に関しては何も語らず、滑山を解説している。


_DSC1540

 こんなに低いところを森林軌道が走っていれば、洪水でも起こればひとたまりもないだろう。廃止後60年以上経った今、恐らく人工的に築いた築堤は川の水に洗われ跡形もない。架かっていたのは木橋か?PGか?コンクリート桁橋か?


_DSC1543

 下流方向へカメラを向ける。梶畑川を渡った森林軌道は現道のレベルへアプローチを進める。杉の木は廃止後に植えられたのだろうか。


_DSC1545

 今私が立っているのは、現在の川沿いの道路から日暮川に架かるコンクリート橋で、下流方向へ体を向けている。コンクリート橋は道路転用の際に架け替えられたであろう年代のものであった。ここが日暮川沿い日暮支線への分岐点となる。スイッチバックしたうえで日暮支線は本線に合流したのではないかな(妄想)?


コンクリート橋脚(橋台)跡が、なかなかの収穫であった。と同時に、川のどちら側を走っていたか路線図が読めてきたのだ。てんこもりマップには誤りがあるため、トロッコ道の軌跡には修正が必要だ。万が一、このマップを元に探索を行う観光客が出てくれば、私たちの二の舞になりかねない!

次回は分岐する日暮支線の痕跡を辿る。

前回

次回


森林軌道 大阪営林署滑林道探索 -本線区間1- ここが軌道跡か?


 序章の一部に関しては、このレポートを書く際に改めて調べ直し分かった事実も多い。また探索をしていく最中、解決する疑問点もあり探索記録で使用する写真の多くは「ほんとにこれって軌道跡???」と思いながら撮影している。その結果、無駄なカットがいつもより多い結果となってしまったが、レポートにする上では写真は多く撮ったほうが良いのだ!とポジティブに捉えておこう。本文中に「~だろう」「~のようだ」「~ではないか」のように断言できない意気地なしな文末が多々見受けられるのは、序章でも記した通り事実を語るのは遺構のみ、当時を知り得る写真も無いため確証を持てないからである。ここは読者の皆様のお力をお借りしたく、間違いやご存じの知識をコメント頂けると幸いだ。

 探索を行ったのは2019年2月。気温こそ低いが、廃線調査には絶好の曇天だった。陽が射していると、影が出来てしまいシャドーとハイライトの差が激しく写真を解説しづらくなってしまう。佐波川沿いの道を上って行き、材木置き場に現着したのは10:00。これより滑森林軌道跡の探索を開始する。


_DSC1393

 いきなり森林軌道とは関係なさそうな橋の写真。欄干には、「釣山橋」「昭和二六年三月」と彫られている。左岸側に材木置き場があるのは昔から変わっていないのだろう。昭和26年3月に竣工した釣山橋を渡り、材木を載せたトラックは麓の製材所へ向かって行った。しかし、昭和26年は序章に記した記録的豪雨の年だ。この橋のわずか上流で佐波川と梶畑川は合流しており、同年7月の激流を耐え今に至る。


_DSC1388

 釣山橋を渡ってすぐにある案内看板。三本杉を見所とするこの山へのアクセスマップにしては、かなり大雑把…

 さてようやく、軌道跡のトレースを開始する。


_DSC1415

 この地点で、かつてトロッコから丸太を下ろしトラックへ積み替えていたのだろう材木置き場であり、軌道の終着地だ。どんな構内配線だったのだろうか、現役時代の航空写真が存在しないため妄想タイム。現在でも、伐採してきた杉をここで詰み下ろしていることを考えると胸が熱くなる。


_DSC1420

 空き地の道路を挟んで向かい側には、木造車庫が建っており、隣には一段高くなった空き地がある。立派な広い階段に石積擁壁、掲揚台のような痕跡もあり営林署の官舎跡があったのではなかろうか?想像ですからね。


_DSC1467

 木材置き場から梶畑川最初の橋を渡る。今架かっている橋は平成24年5月に竣工され新しい。同時期に河川改良と上流側の道路が整備されたようだ。これ以前に来れば橋台跡があったのかな…なんて思ってしまう。


_DSC1458

 橋を渡った先は左方向に延びるのが現道、右の川沿いを走るのが旧道である。おそらく当時から存在する自動車道は梶畑川の左岸を走っており、右岸に位置するこの道は軌道敷きの跡であるはずだ。


_DSC1455

 旧道を数歩進んだ世界がこれだ。アスファルトの道は依然として川沿いだが、なぜか左に進む道が出現したのだ。うーん。


_DSC1442

アスファルトの道を進むと、石積みがなんとも良い感じ。


_DSC1436

 民家を横目にカーブが終わり、盛り土された現道へアプローチする。ここを走っていたのかなー?自信がない。


_DSC1430

 そして、先ほどスルーを決め込んだ未舗装の道路。現道から見下ろすと綺麗な計算されたS字を描く道となっている。手前側は現道工事のため盛り土され消失しているがなんだろう。山林を上った先にある石ずき神社または祖父神社への参道なのか、それともなんらかの土地活用があったのか。


_DSC1435

 現道はここで橋を渡り対岸へ行くが、軌道跡は道路を横切り川沿いを走る。道路転用され小型車であれば走れる道幅だ。


_DSC1479

 トレースを進めると、倒木により道がふさがれていた。対岸へ渡る道路橋が横切る先も、道路転用されているが途中でぷっつりと途切れ、ここがトロッコ道だったのかなー?と探索時疑問に思っていた。実際に今アスファルトが敷かれているレベルにレールが敷かれていたとも言い切れず、でも年代不明の石積擁壁が存在しているため可もなく不可もない考察を立てるに過ぎない。

 全区間探索を終えた結論は、線形を確認すればおそらくこの章の考察は間違っておらず、材木置き場から川を渡り、右岸に沿ってレールが伸びていたに違いない。

 集落周辺を過ぎ、いよいよ川沿いの遺構が期待できる区間へ突入する。


前回

次回


画像をクリックすると別ページへ飛んで大きい写真が見れます。